イッカ
どんどん忘れる。もう気持ちいいくらい忘れていく。亡くなったお袋は70過ぎてからの発症だったけど、自分はもうすでにアルツハイマーの入り口にいるんじゃないかってくらい忘れる。忘れるのはなくなってしまうのと同じではないけれど、せっかくの自分の時間を思い出せないのは癪なので、ダラダラと取り留めなく書いておく。そんなMXGPオランダ・アッセン取材&ドライブ旅行の記憶の記録。
畑尾樹璃選手のWMX参戦については、本人の希望や計画をかなり前から聞いていて、大した力にはなってないけど、多少お手伝いもしてきたので、今回のスポット参戦が今後の展開にどう繋がって行くのかこの目で見たかった。会場のアッセンはロードレースの聖地みたいな場所。ここで開催されるモトクロスにも興味があった。同時にここまでほったらかしに育ててきた次男を、1度海外に引っ張りだそうと考えていて、タイミング的にここしかないと思って今回のヨーロッパ行きを決めた。
まずはチケット選び。スカイスキャナーの検索条件はもちろん安い順。その中で中華航空のプランに行き羽田発、戻り成田着というのがあって、さらにその中に台北トランジット行きが6時間、帰りは2時間とかいうのがあって、これ、ちょうど台北市内に行って飯食えるんじゃないかと思って、それを選んだ。台北、これまで何度となく利用してきたし、ボクにとっては何かと思い出のある中継地なのだ。
そしたら予想もしない台風がやって来た。いやマジ、普段ニュースと天気予報は大好きなんだけど、たまたま出発前の数日は忙しかったみたいで、テレビもネットもあまり気にしてなかった。で、出発の荷造りしなきゃと思って朝、さて何から手を着けようと動き出し矢先、ニュースが台風が関東に接近していて、羽田の発着にキャンセルが相次いでいると伝えていた。あらららら。前の晩興奮して寝られず、朝方寝たらしい次男をたたき起こして、おい今日の出発ヤバそうだぞって言ったら、ヤツは「ハァ!?」って一瞬怒ったみたいに言い放って、そんでまた寝てしまった。中華航空のサイトには、遅延と出発が翌日に変更になったという内容が記載されていた。こういう時はどうなるんだろう。なるようにしかならないんだろうなぁと思いつつ中華航空の事務所に電話してみたけど、繋がるわけがない。そしたら昼過ぎだったかなぁ、係の方から電話がかかってきて、「成田に行けますか?」と聞かれた。行きのトランジットが長かった分、成田からの便に乗ればギリギリ乗り継ぎに間に合うかもとのことだった。元々帰りは成田の予定だったし、電車で帰るよりクルマを置いといた方が楽なので「ああ、いいですよ。」と即答して次男を叩き起こし、出発の用意を始めた。
土砂降りの中成田へ。いつものパーキングはガラガラ。夕方4時まで閉鎖されてたらしい空港は当然大混雑。でもチェックインとかスムーズにやってもらえて、そのままゲートで待機。でもここからはさすがにスムーズにとは行かなかった。どうやら各社のヒコーキが上空や仙台や名古屋で待機してて、再開した成田に一斉に集まったらしく、まず機材がなかなか下りて来ない。やっと来たかと思ったら、今度は出発待ちの大渋滞が発生したらしく、結局予定より2時間だか送れて離陸。滑走路の離陸開始地点にUターンしたときに、ヒコーキがずらっとお行儀よく並んでいたのが見えた。
飛んでしまえばこっちのものと思いつつ台北へ。乗り継ぎ便の出発時刻は30分ほど過ぎている。下りるなり乗り継ぎの方こちらへと呼ばれて、これは次のヒコーキ待たせてあるんだなと思ったけど、CIからKLMという変な乗り継ぎというか共同運行だったせいか、次のKLMはすでに離陸しちゃったらしく、ボクと次男と他何人かの旅行者は、一緒にカウンターに連れて行かれた。こんなドタバタなのに、対応はしっかりとしていて迅速だった。「こちらが明日のフライトチケット。そしてこちらが今夜のホテルのバウチャーとなります。ホテルまでのシャトルバスは9番でお待ちください。」てなこと言われてたんだと思う。チケットとバウチャーもらってホテルに行く。ホテルに着くと、これまたスムーズに鍵と食事のクーポンが用意されていた。クーポンは3枚×2の6枚。明日の朝、昼、晩。そうなのだ一晩じゃなくて、丸一日台北に足止めになったのだ。
ボクはかまわない。もともと畑尾選手と今回畑尾選手をサポートすることになったMonster Energy Kawasaki MX2 Racing Teamのハリーさんには、23日のロンメルは行けるかどうかわからないけど、24日のホーストにお邪魔したいと伝えていた。だから予定は変わらない。問題は次男。彼にはユーロレイルパスを買って与えてあって、アムステルダム着いたらそこから一人でどっかに行けといっていたので、彼なりにいろいろ計画して、到着したらすぐにパリに向う計画を立てていた。早朝スキポール空港について、そのまま駅から(この空港1階と2階が空港で、地下1階は駅なのね)パリに向うハズが、なぜか我々は台北にいるのだ。この状況、ボクは楽しんでいたけど、初の海外旅行がヨーロッパからアジアになってしまった彼には面白くなかったに違いない。
まぁそんなで、快適なっていうか、過去泊まったことがないくらいの豪華なホテルのベッドで一晩寝て、目が覚めてもそこは台北で、ビッュフェの朝御飯頂いて、さぁ、どうすべぇってことになって、ホテルにいても仕方ないから外に向う。一旦空港に行ってバスで台北市内へ。そこから電車とバスで九份老街へ向う。Facebookで後輩の中村君にアドバイスしてもらったんだけど、いやいや行ってみるもんだよね、観光地。次男も楽しくなってきたらしく、台北戻って地下街歩いたりして半日観光を楽しんだあと再び空港を経由してホテルに。シャワー浴びて荷物持って、大急ぎで晩御飯食べて空港に向う。そんでチェックインしたら、振り替えのヒコーキは次にバンコクを目指すらしい(笑)。台北~バンコク~アムステルダムと言えば、ボクが初めて一人でベルギーのMXoNに向ったときに乗ったヒコーキだ。その後バンコク駐在のSさんと一緒にオランダのMXoNに言ったときも使った。懐かしい。でも、ちょっとというか、かなり遠回りなんじゃないの?
結局スキポール空港には24日の昼前くらいに着いた。予定より30時間くらい遅れた計算。予定通りとはいかなかったけど、じゃぁなと次男と分かれてレンタカーの受け出しに行ったら、キャンセルされていた。いやいや、台風で出発出来ず、到着が遅れるってメール送ったでしょうが…って言ったけどダメだった。いつもはEuropcarで頼んでたんだけど、今回外のホテルに受付があるちっちゃい会社で頼んだのもいけなかったみたいで、クルマが手配できないっていう。そんなのおかしいだろっ。なんとかしろって頑張ったら、なんとかなりかけたんだけど、今度はボクのカードでデポジットの決済が出来ず、結局パー(笑)。仕方なくEuropcarに予約を入れ直して、こりゃ、ホーストの事前テストも無理かなぁと思ったんだけど、Googleで検索してみたら、電車とバスと徒歩で4時ごろには着けると出た。テストは午後遅めにスタートするって言ってたからちょうどいいかもと思って、またまた空港に戻って電車に乗る。
Google mapすごいよね。だって、オランダのローカルコースまで、ほんと電車とバスと徒歩で行けちゃったもの。ほんとは駅からタクシー乗ろうと思ってたんだけど、超ローカルなちっちゃい駅で、お迎えのクルマが2台いただけ。仕方なくGoogleさんのいう通り、バス停まで歩いてバス乗って、その先重い荷物引っ張って30分ほど歩くのはさすがにちょっと汗だくになったけど、コースの隣にあるホームセンターで壊れかけたサンダル直すのにボンドを買ったついでにちょっと涼んで、ちゃんとコースには辿り着けた。
コースでは畑尾選手が苦戦していた。参戦が決まったときから、「オランダ、ベルギーのサンドコース、たぶん想像以上に大変だよ。」と伝えていたけど、その想像を遙かに超えて難しかったらしい。畑尾選手には、差し入れを約束していたサトウのゴハンと各種フリカケ、梅干しと粉ポカ、粉アクエリアスを渡す。テスト終わった後は、トランポに同乗させてもらってチームのワークショップへ。その後畑尾選手とメカの山崎さんが泊まってるホテルに行って、山崎さんとビール。そしたらアゴダから電話が来て、時間までに来ないから今夜の宿キャンセルになったわよって言う。いやいや、さっき宿の人に電話して、昨日は台風のせいで来れなかったけど、今夜は近くまで来てるんで、9時ごろになるけどいくからねって言ったよって反論してみたんだけど、ビール飲んでる間にすでに9時は回っていた。安宿予約したので、フロント常駐ではないのかもね。二人が泊まってたホテルに聞いたら部屋あるよってことだったので、じゃぁいいやって伝えて、この日は同じ宿に宿泊。
翌日、確か25日。朝ホテルを出てバスで最寄りの駅まで行って、再び空港へ。今度はレンタカー乗れるかなと思ったら、またまたデポジットでスタック。こっちのソレは前のアレより安いハズなんだけど、余計な出費がどんどん嵩んで、限度額の底が近づいていたらしい。あらららら。カード会社に電話入れたら、ちょうど営業が終わった時間。あらららら。ちょっと待てよ~って打開策を考えたけど、これはどうにもならない。どうにもならないならジタバタしたってしょうがないので、Europcarの受付にこの予約キープしといてと伝えて電車に乗った。大事な目的があったもんで。
その目的とは、オランダーとベルギーの国境沿いにあるフィリピーネってとこでムール貝を食べること。以前、何年前かなぁ、アントワープやブリュッセル以外にもムールで有名な町があるってネットで知って、レンタカーで遠回りして行ってみたんだけど、当時はGoogle mapとかなかったし、道に迷って辿り着いたらレストランみんな閉まる時間で、結局食べれなかったのよね。ほんとはレンタカーで行くハズが、電車とバスになったけど、最後のバスなんてベンツのスプリンターかなんかだったし、ムールは今まで食べた中で一番美味かったし、帰りは地元のお姉さんタクシーでバス停まで送ってもらったりして、存外楽しめた。この夜はibisバジェットという空港近くの安ホテルに泊まった。
26日、この日からは取材モード。まず、ホテルから日本のカード会社に電話入れて、限度額を引き上げてもらう。これは割とすんなり出来て、朝Europcarのカウンターが開くのを待ってレンタカー受け出してアッセンへ。道中なんかあったかな? なんもなかった気がする。2時間くらいでアッセンに着いた。金土日と取材。宿はどうしたっけかな。え~とそうだ。金曜日は山崎さんと飲んで、そのままホテルの駐車場で車中泊したんだった。土曜日はフランス~イタリア辺りを回ってた次男が夜中にアッセンの駅までやって来て合流。そのまま同じホテルの駐車場で車中泊。そうだ思い出した。この夜、雷がすごかった。あと次男の晩飯買いに行ったハンバーガーショップで、オランダの双子のミュージシャンを紹介された。レースが終わった日曜日は、アッセンからちょっと北の町のBBってのに泊まってみた。晩御飯は中華だったかな。そういえば24日の晩に畑尾選手、山崎さんと食べに行ったレストランも中華だった。どっちもすごい美味くもないけど、すごく不味くもない中華(笑)。
27日、BBのシャワーで砂だらけの靴を洗った。そんで次男とドライブ旅行開始。まずはブレーメンへ。ブレーメン、音楽隊の像以外に何があったっけかな。次にハンブルク。ここではUボートを見学した。近くでなんかスポーツ関連のパーティの準備をしていた。なんかエロい感じの町があった。そしてベルリンまで走って一泊。翌日は「壁」の記念館に行って、教会の横で1.5ユーロのソーセージサンドを買って食べた。通り道ブレジネフさんとホーネッカーさんのブッチューも見れた。そんでプラハに向う。あれ、途中でVodafoneのWi-FiとCIMカード買ったんだよな。どこでだっけかな。ブレーメン? だったのかなぁ。
チェコへのアクセスは、検問はなくなっていたけど、途中高速が工事してて、下道下ろされてちょっと迷った。Wi-Fi切れてナビ使えなくなっちゃったからね。ブレーメン、ハンブルク、ベルリンと駆け足だった分、プラハでは割とちゃんと観光した。つっても午後街歩きして晩御飯食べただけだけど。プラハは昔…って2003年かなぁ。孝高の応援がてらベルギーGP取材に来て、夏休みでチケット高かったし、ホテル代ももったいないからとオランダ~ベルギー~ルクセンブルク~フランス~イタリア~スイス~オーストリアとロングドライブして、夜中プラハに着いて、ビールでも飲んで仮眠しようかと思ったらエッチなお姉さんのいる店で、案の定ボラれてそんなの払えるかって文句言ったらゴッツい兄ちゃんたちにボコボコにされたという、苦いというか痛いというかアホな体験をした街。今回ようやくその悪いイメージ(つっても記憶ほとんどないんだけどね。)を払拭できた…と思う。
川沿いのレストランでちょと贅沢な食事して、夜、プラハの街を出て、西へ走ってドイツの国境超えて、途中何回か仮眠してフランクフルトで朝ごはんにソーセージ食おうなんて話してたんだけど、そこはすっ飛ばして、お城を見に行って、そのあとケルンで大聖堂を見て(デカいだけだった)、ベルギーのリエージュで渋滞&道に迷って、最後アントワープへ。聖堂近くのホテルに泊まって翌日、つまり帰国の昼過ぎまでアントワープの街を観光して、スキポール空港に戻る途中ユトレヒトに寄り道して空港へ。帰りは台風の影響受けることもなく、来るときはあんなに長くいた台北のトランジットもあっと言う間で、機内ではひたすら寝て成田へ。
都合12日間ってことになるのかな。こんなに長く滞在したのは、ステファン最後の年にフランスGPとイギリスMXoN取材してオランダでヒコーキ乗り遅れて以来だと思う。すっかり忘れていたけど、途中一つ歳を取った。読み返してみたら、レンタカー借りれずオタオタしつつ、ムール食べに行った日だったのね。そうそう、Facebookにたくさんのメッセージくれたみなさん、ありがとうございました。GPに関してはMXINGのFacebookページに、その他ドライブ旅行については木田のFacebookにいろいろ書いてます。誰も関心ないと思うけど、ジーサンの奇行に興味のある方、合せて読んでいただけたら幸いです。
最初の写真はベルリンの壁の西側から東側を覗いてみたバカオヤジ。このときはふ~んこんなもんかいって思ったけど、その後記念館で歴史の断片を見て、いろんな思いが溢れました。どこにでも好き勝手に行き来できることは素晴らしいことだし、誰もがそうあるべきだと思います。