ひとつき
千年に一度あるとかないとかの大災害。1ヶ月後の記憶の記録。
大した用事でもなかったけど1度東京に戻った。高速の水銀灯がずっと点いてなくて、災害時だからかなと思ったら首都高も同じで、実は節電のためだとI君からの電話で教えられた。団地の周り全体、近くのジャスコもビバホもなんだか薄暗くて、これはこれでいいなと思った。
ヨーロッパとかこんなだよね。レストランの店内とかすごく薄暗いし、一般の家庭も日本みたいには灯りがない。アジア人の黒目みと違って、眩しいのがダメで、それでみんなサングラス使うんだって聞いたことがある。そう言われれば夜の街灯りがピカピカなのは、断然アジアだ。節電のおかげでそれがすごく落ち着いた雰囲気になってって、正直悪くないなと思ったのだ。
久々の自宅は相変わらずで、震災もあったんだかなかったんだかという感じ。近所で液状化があったのよと奥さんが言うのでわざわざ見に行ってみたり。
そんなこんなで数日過ごしていたら、お決まりのP派が来て東京も大きな揺れ。ウェザーニュースみたら震源はいわき。ダメ元で実家に電話入れたらすぐに繋がったんだけど。「また揺れてる。前より大きいぞ。」と親父。「大丈夫だ」の一言を残して電話は切れた。
直後に奥さんが連絡くれて、好間に帰るわと報告。準備して近所の宇佐見で燃料入れてたら学校帰りの次男が見つけてくれて、どこ行くのと声をかけて来た。状況説明して首都高?常磐で三郷まで向かったけど、柏から先通行止めの表示。点検終われば開くかなとゲートの手前で待ったけど復旧の気配が見えない。1時間ほどで断念して一旦東京にUターン。翌朝早朝再びいわきへ。
高速は湯本の手前で土砂崩れがあって勿来まで。手前の北茨城で降りてそこから下道。好間は夜の間に復旧したと言ってたけど、勿来はまだ停電していた。バイパス混んでたんで裏道繋いで実家へ。でさっそく片付け。直下型で親父は11日より揺れたと主張するが、本震は揺れが長かったからね。被害もさほどではなかった。それでも壁が落ちたりふすまが外れたり。片付けの最中に大きな余震で1度飛び出す。カタカタグラグラもヤダけどドシンガタガタも十分困る。5分おきくらいに揺れまくって、いいかげんウンザリ。
ちょっと落ち着いて来たので、気晴らしにカタクリが原生する山の中になど行ってみたり。途中崖崩れで埋まったら誰も気付いてくれないなと思うと少しハラハラしたが、そんな心を和ませてくれるくらい、カタクリの花は奇麗で、可憐で、強い。
さてこの先はどこへ。っていうかオマエは何を。そうだお袋の様子も見に行かなきゃだ。