健二さんのこと
元々写真撮るのが好きなわけじゃないし、必要に迫られてというか、これは記事になるなってときにしかシャッター押さないんだよね。全日本のパドックで健二さんが真剣な表情で作業してたり、ニッコリ笑ってたりするのは、当たり前過ぎて写真がないんだ。ようやく見つけた、おそらく僕が撮った直近の写真は、去年の三宅島エンデューロの開会式。競技進行について説明する福島さんを、後ろで見守っている健二さん。人前に出ようとせず、いつも裏方というか、根っこの部分で支えることが多かった気がする。少なくとも僕の中の健二さんはそんなイメージ。しっかりと周りの情報仕入れて、みんなに気を回し、いっつも気遣いしていた。そういえば、「今年の三宅、僕はどうすればいいの?」「あ~そっか、一月前に名簿作っちゃったんだ。ごめん、今年はいいや。」最後の会話はそんなでしたね。
今思い出したけど、ガルル編集部に入社して、桶川の関東選で一番最初に取材させたもらったのが健二さんでした。いつでも話せるし、でも、いつも忙しそうだったから、三宅の後も、あえて連絡はしていなかった。じっくりと話したのは今年の5月頃でしたっけ? 「iPhne使って分かったでしょ。もうWindowsなんてやめてMacにしたら?」って僕が勧めたら、お得意の下調べで「12インチMac Bookを買うことにした。」ってことになって、「やっと届いたよ。最初のセットアップとデータの引っ越し手伝いに来て。」ってモトロマンに呼ばれて、二人で徹夜で作業しましたよね。
Outlookのデータを移すのが案外面倒で、健二さんのBIOと僕のwinノートとMacBook pro、健二さんのMacBookの間をHDで行ったり来たりさせて、その間ずっと、プライベートの話題や、モトクロス界の四方山話に花を咲かせてた。お店やチームの将来、引退後のプラン、娘さんたちのこと、お孫さんのこと、愛妻春美さんのこと。今だから言っちゃうけど、メーカーさんや協会への不満や文句(笑)。
現役時代に仲間が亡くなって「以来、毎年遺言状を書いてるんだ。」って教えてくれましたよね。今回の葬儀のことまでちゃんと認めてあったと聞きました。
気を使いすぎ、気を回しすぎ、気配りしすぎ。性分とは言え、頑張りすぎだったんじゃないですか。もっといろんなことを聞きたかったし、教えてほしかった。そしてまだまだ話したいです。
突然の訃報は、タイSX最終戦の会場に着いて、真っ先に訪ねたトンチャイさんから聞きました。帰国は告別式が行われた夜で、最後のお別れも出来なかった。このままだと来年の開幕戦で、モトロマンのパドックに健二さんを訪ねてしまいそうだから、折りを見て、ご自宅にご挨拶に伺います。
積もる話はいずれそちらで。日本のモトクロス界に健二さんが残した数々の功績と多大な貢献にはもちろん及ぶべくもないけれど、それまでジタバタ頑張ります。