ヤダな。
震災のために1カ月半遅れで再開した2011シーズン開幕戦取材、その記憶の記録。
忘れないうちに書いておこう…と思ったけど、出発前から風邪引いてたみたいで、東京帰って1日寝込んだし、大会期間中もずっとボーっとしてたみたいで、あまり覚えてないのよね。
編集、入稿終わらせて木曜日にいわきから東京に移動してきた(多分)。ん? 水曜日だったかも。
金曜日に佐藤敏光カメラマンを羽田に迎えに行って、浮間に印刷の上がりを取りに行って、池尻までの首都高トンネル初めて走って東名乗って、伊勢湾道、新名神、名神、中国道、山陽道、尾道道路と走って、土曜日の早朝世羅に着いた。いつもは着くの明け方だけど、早めに出た分、道が空いてた分順調で、コンビニの前で仮眠した。
土曜日いろいろ撮影と予選取材。
日曜日決勝取材。終わったあと世羅温泉で汗とホコリ流して福山SAまで移動。そっから速報レポートをいくつか。朝9時に一旦終了して移動開始。刈谷のHOでトーチュウのレポート作成(たぶん)。敏光さんのリクエストで清水で下りて太田さんちを訪問。一晩お世話になって火曜日帰京。豊洲の営業所(ネットカフェ)で作業してう~んってなって、水曜日はダウン。木曜日は東京で雑用。夜次男と一緒に敏光さんを羽田まで送って、国際線ターミナルを見学。
敏光さん羽田着いたときにセーターの上にジャンバー羽織ってて、それはいくらなんでも暑いだろうと笑ったけれど、東京はすっかりTシャツと短パンの季節になりました。
無事にとは言い切れない部分もあったけど、ともかく開幕を迎えられたことを選手、関係者の皆様に感謝します。それは違うんじゃない? ってところも多々あったけど、個人的にはお客さんも大勢来てくれて、いい大会だったと思う。
さっき改めて目を通したけど、MFJのレポートは今年もひどいなぁ。参加者もファンも現地で頑張ってるスタッフさんも、こんなにレベルの低いレポートで公式記録されるなんて、心外だろうなと想像する。実際そんなもんだろって思われたらヤダな。