JMXR10 MFJ GP
最終戦の記憶の記録
金曜夜の11時頃会場に到着。村田IC前のセブンイレブンにMXingを置いてもらって、お向かいのスタンドで燃料満タンにして、今回は(も)最初から会場泊の予定だったので、仙台側のセブンイレブンにも足を伸ばしてMXingを置かせてもらう。
会場入ったら佐藤敏光カメラマンのレンタカーがあったけど、本人は見当たらず。一人じゃつまらないのでパドック歩いたらサイマンとこの明りが点いてて飲み会参加。ちょっと飲み過ぎた。
土曜日はなんとか天気がもってくれたけど、どんより暗くて写真にならない。予選は割とたんたんと消化されていった。決勝雨の予報だったので予選写真は使えないし、本チャンにかける。予選終了後ロードコース内の施設で来年度WMX日本GPの開催発表があった。食事も用意されてたけど、ほとんどの人たちが仙台泊まりなので、誰も手を付けない。残すのも悪いしもったいないし買い出しに行かなくて済むから腹ごしらえをさせてもらう。その後パドックに戻り、プレスルームで10時過まで作業。夕方降り出した雨がかなりの雨足に。地震と同時に雹が降ったりして、なんか、天変地異でも起きるんじゃないかという感じ。今思えば、大荒れの最終戦の序章だった。
パドック泊2日目。決勝に備えて早く寝たら地震と雨で目が覚め、再び寝たら、こんどは外が明るくなってて、おっ、もう朝かと思ったら2時だった。発達した寒冷前線が通過したらしいけど、一瞬雲の隙間から月が出たのよね。朝だと思っちゃったらもう寝れなくて、朝までまんじりと過ごす。ようやく外が白み始めた頃、斜向かいの成田家ではお母さんが朝食の準備を始めていた。ちらっと挨拶して、シジミ汁の味見をさせていただく。
決勝は、あやややややな展開。もうドロドロ。肝心なところでカメラがぶっ壊れてあちゃーとなる。でもサブのコンパクトカメラ出して、なんとかやり過ごせた。タイトル争いはスカッと勝負させたかったけど、これもモトクロスだ。小池田も福留も、当たり前のことだけど強かった。
レース後、パドックを回ってライダーのコメントなんか取って、ヤマハの記者会見に出て、速報のレポート書いて、またパドック行って関係者に挨拶をして回って、プレスルームで仕事して…というのを繰り返す。できればもう少しちゃんと挨拶して終わりたいんだけど、仕事の流れもあるんでどうしたって無理。パドックからの撤収が始まる頃からプレスルームで本格的に作業し始めて、みんなが「お疲れ~」って言葉を残して三々五々帰っていく中、最後に残ったのはいつも通りT君(ち)とボク。そのTくんたちも今回は早めに出るということで、最後は一人になってカタカタカタカタ。「ここ何時までいていいですか?」ってSUGOのFさんに聞いたら、「いつまででもどうぞ。」ってことだったので、朝までいさせてもらうことにする。今朝というか、夕べの早起きが祟って終盤フラフラ。12時過ぎに一旦車の中で仮眠。お客さんもライダーも関係者もみんな帰ってしまって誰もいない会場に一人きりというのはすごく寂しかったけど、横になったらそんなこと考える間もなく気絶。5時ごろ起きて作業再開。速報関連の作業はなんとか終了し、出勤してきたFさんらSUGOのスタッフさんに挨拶して10時ごろ会場を後にする。昨日とは打って変わって素晴らしい秋晴れ。村田のセブンイレブンでお茶買って店長さんに挨拶。週末の売り上げはすごかったらしい。
東北道、磐越道を乗り継いでいわきの実家に。安達太良だか一切経だか山の上に雪が載っていた。実家で残った仕事を片付けて、画像データを送るのに夜親戚んちにLANを借りに行ったんだけど繋がらなくて、作業中断。参ったなってくらい脂の乗ったカツオでビール飲んでたら9時には眠くなっちゃって、布団に入って爆睡。したっけ当然のことながら3時には目が覚めて、う~ん、どうしようとなったけど、ふと、そうだインターネットカフェがありそうじゃないかと気づき、ネットで調べてみる。実家から10分ほどのところにそれはあって、行ってみたら、繋がるまでちょっと苦労したけど、繋がってしまえば快適快適。画像データをドカンと送って、無事作業を終えて戻ろうとしたら、また仕事が入ってネットカフェに逆戻り。今出て行って、すぐに戻ってきたオッサンの客。かなり怪しかったに違いない。でも、おかげで、ちゃんと仕事はできました。
そんなこんなで一段落。まっ、ひとシーズン頑張ってなんとか今年も乗り切れたわけで、ここからはしばらくスイッチオフする予定。夕べもカツオの刺身でビール飲んで、早めに寝たら早めに起きて、まるで時差ぼけ状態だけど、まっ、どうでもいいや。とにかくぐたーっと過ごすのだ。しどきも行きたいやね。以上、全日本取材の記憶の記録もこれで終了。ほんとお疲れさまでした。