ヤタサン、シュウ、ジンチャン、ケンジ、コージ、ヒサシ、カツミ…

150131YESSOBkk_0004a嬉しい集まりがありました。ヤマハ東京支店サポートライダーのOB会。谷田部っちが発起人になって当時の仲間たちに呼びかけ、鈴木一昭君が幹事さんを努めてくれて、ひとまずこんな面子が集まったわけです。写真見て「うわ~懐かしい。」って人少なくないんじゃないかな。ボクなんて会場着いたときから「うわ~。」「うわ~。」「うわ~。」の連続でした(笑)。

なんでサポートライダーでもないボクがお呼ばれしたのかっていうと、これはひとえにシュウちゃんこと鈴木修一君のおかげ。手前左から2番目がスズケンで、その後ろにいるのが健二の兄貴のシュウ。ジャパンスーパークロス神宮の大クラッシュで生死の境をさまよって、ハンデキャッパーになっちゃったんだけど、言うことやること今もそんなに変わってないです。

そもそも「木田さん、土浦運転手いないんで、一緒に行ってやってもらえないですか」って声をかけてくれたのが始まりでした。当時ヤマハは支店ごとに地元の有力チームやライダーをサポートしていて、シューの出身チーム「土浦レーシング」もそのサポートを受けていたんですね。シューは一足先にA級に昇格して、それと同時にヤマハに就職して、開発ライダーになっていた…んじゃなかったかな。そんで残った健二とか石井君とか鮭川君とかで遠征することになったんだけど、ファイヤーパターンなコースター(笑)の運転要員として手伝って欲しいと…。

でも、実際に一緒に動いてみたら、石井仁ちゃんハンドル離さないし、鮭川君やオサムちゃんもいて、ほとんど運転しなくていい状態。で、気付いたんだけど、あれは修一ならではの気遣いだったんですよね。当時ボクはフリーになってみたものの、ロクに稼げないし、稼げないから全日本の遠征も出来ずにいたんです。で、要は連れてってあげるよってことなんだけど、年上のボクに気をつかってあんな言い方してくれたんだよね。違うか>シュウ?

もともと土浦Rは家族(鈴木家)中心のチームで、まぁみんな親戚みたいなもんなんで、ボクもその一人に加わえてもらったみたいになって、実は健二がA級になってYZ(ワイジー)入ったりしてからも、泰則やら学やら恵美やら恵一やらライダーは次々補充されて、ボクはずいぶん長いことこのチームとお付き合いすることになったのでした。

その間ずっと、ヤマハ東京支店サポートチームののまとめ役だったのが谷田部君(の兄ちゃんだった気もするけど)で、「今回はどこどこに何時集合。土浦のコースターとウチのローザとで行くよ~。食事は増田さんヨロシク。恵真と真実も手伝ってな。」てな感じだったと思う。コージもヒサシもケンジもまだ小僧で、毎回修学旅行みたいだった。風呂での水掛けは当たり前で、フェリーの中での鬼ごっことか、今でも笑える思い出がいっぱいある。

「木田さんまだやってんの? いいねぇ好きなこと出来て。」って仁ちゃんが会うたびに言う。それはそうなんだけど、みんな立派になっていて、なんとか自力で遠征はしているもののボクは相変わらずのビンボーで…。こんなこと続けていていいのかなぁ。業界良くならないのは実は能力のない自分のせいなんじゃないのかなぁ…なんて気落ちしてたので、ほんと元気をもらえました。

シュウがB級予選の合間に作ってくれたカツ丼美味かったなぁ…とか、手のひらバックリ切って何針か縫って戻ってきて、でもちょっと走ったら縫った糸が切れて血が出て、泥々の決勝レース、ガムテで傷を固定して、でも当然グローブの中血だらけにして、そんで優勝争いしたシュウはカッコ良かったなぁとか、久々にカツミとハナシが出来たなぁとか、ピンちゃんと桜庭の風貌はピンちゃんと桜庭過ぎるだろとか、ほんと楽しかった。

というわけでみんなありがとう。次いつになるとか全く未定だけど、またみんなに会えるように頑張るじぇじぇじぇ!!

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です