11MXoNが終わって

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毎年思うことですが、ほんと日曜日の夕方、会場のパドックの片隅で「ご苦労さま」って感じで終わってしまうんですよね。それが嫌で、ネイションズという大会のことや日本チームの奮闘ぶりをなんとか一人でも多くの人に知ってもらおうと、これまではMXINGの号外壁新聞を作って広島、SUGOと勝手に貼って来たんだけど、今年は新しいプロジェクトを始めるために、それもしませんでした。
そしたら中国大会は、見事にネイションズのネの字もない大会となってしまった。行く前は応援ヨロシク!! と呼びかけて、帰って来たらなんの報告もなし。「全力で戦ったんだけど、ボロ負けしました。」とか「このままでは予選通過さえ危ういから、次の大会に向けて今から体制作りを始めます。」とか「来年のロンメルはディープサンドのGP切っての難コースだから、我こそは腕に覚えがあるというライダーは今から準備しておけ。」とか「引き続き応援してください。」とか、ウソじゃ困るけど、気の利いた報告は出来ないんだろうか。
参加したライダーや関係者は、それこそ大きな経験を積んで帰って来たと思う。それは確実に彼らの財産になると思う。でも、ネイションズに参戦したのは日本代表チームなのだ。そこで得られた経験は、日本のモトクロス界全体の財産にしなきゃいけないと思う。ところがそういう伝達や引き継ぎが何もない。たぶん、来年の6月くらいからまた参戦への活動が始まって、選ばれたライダーが張り切って現地に向かって、ネイションズというイベントの素晴らしさと世界の壁を目の当たりにして、行った者は徳をして、行かなかった者は全く関係ないということを繰り返すのだと思う。果たしてそれでいいのだろうか。
サン・ジャン・ダンジェリーでチームの集合写真を撮影したとき、「今年はMFJの旗はないんですか?」とカメラマンから質問が出た。「いらん。なんもせん協会の旗なんて持って来とらん。」日本チームの田中団長はそう言って苦笑いをした。じゃぁ、誰がこのチームを、一体何のために出場させたんだろう。
日本代表チームが初めて、当時まだモトクロス・デ・ナシオン呼ばれていた大会に出場したのは1990年のことだった。90年スウェーデン、91年オランダ。当時の参戦経緯を僕は知らない。でも、96年のスペイン大会での参戦再開に何があったかは良く覚えている。前年で鈴鹿のWGPが休止となり、世界への新たな取り組みをという気運が一部関係者の間に生まれた。当時サトケンさんや藤さんらが選手会を立ち上げ、吉村太一さんが相談役に着くことになった。選手会の取り組み課題として、ネイションズ参戦が相応しいのではないかという意見が出て、話は一気に動き始めた。
最初は選手自らが募金活動を行ったりオークションでジャージを売ったりして資金を集めた。自分たちで資金集めの努力をして、足りない分は協会や所属チームやメーカーに支援してもらう追うという作戦だったのだろうと推測する。それが実を結んで96年スペイン大会には、榎本、川島、小田桐の3選手が参戦を果した。97年のベルギー大会は、直前になってチームの編成や準備に問題が起きて参戦は取り止めになった。ネイションズ(当時はまだデ・ナシオン)参戦は本来MFJが主体となって取り組むべきで、契約選手に資金集めなどやらせるべきではないとメーカーの担当者からクレームが出たと聞いている。
翌98年は、当時ワークスではなく、サテライトチームから参戦していた成田、熱田がランキング1-2位で選出されて代表となった。3人目はIA2ランキングトップの増田一将が代表入りを果した。ヤマハというメーカーの後ろ楯を得て参戦した増田に対し、成田、熱田が所属するSEKI Racing MotoRomanは、世界に通じるライダーの育成に取り組んできた、ある意味特別なチームだった。ほとんどの費用を自ら捻出し、伝のあったイギリスのチームにサポートを依頼して、ワークスやメーカーチームに所属しないライダーの参戦を可能とした。
当時MFJ会長を務めていた石塚氏は、国内の活性化に取り組むことを最優先していたため、海外派遣など論外という立場を取っていたが、MotoRomanの佐藤監督が粘り強く交渉し、チームが主体となって参戦するならMFJは参戦を許可し、出場に際しての手続きをサポートするという協力を取り付けた。善くも悪くも、それが日本代表チームがネイションズに参戦する際のたたき台となった。今ほどではなかったのかも知れないが、当時も積極的にレース活動を拡充出来るような経済状況ではなかったと思う。同時多発テロやUS大会のドタキャン、メーカーのモータースポーツ活動の大幅縮小などに翻弄され、出場を果せなかった大会もあったが、それでも、ネイションズに参戦することの意味を知る関係者の情熱により、日本代表チームの参戦は続けられてきた。
その間、日本のモーターサイクルスポーツを統括するMFJは何をして来たのか。実情を詳しくは知らない。あくまで想像の枠を出ないが、「出たいなら出てもかまわないが、費用はそっち持ちね。エントリー手続きぐらいはやってあげます。」…ざっくりそんな感じなのだろうか。参戦するためにメーカーの代表者からは、「協会がもっとしっかりとリーダーシップを取ってくれないと困る。」という意見が毎回必ず発せられる。長年団長を務めてきた田中隆造モトクロス委員長も、実は費用は全て個人負担で、ある意味ボランティアでチームのまとめ役を買って出ているだけだと聞いている。
ある程度協会が予算を工面し、ナショナルチームの編成やマネージメントを取り仕切ってくれれば、田中氏だってもっと積極的にああしろ、こうしろと言えるハズだが、現状は「なんとか出場させたい。」という有志の願いをメーカーが受けて、渋々契約ライダーやスタッフを派遣させているというのが日本チームの実情なのだろう。現地集合、現地解散。日本チームにはシーズン中という大きなハンデもある。十分な結束力も統括力もないチームで、士気が高まるとは思えない。
それでも参戦を継続させて欲しいし、いつかは表彰台の一角を狙えるくらいに、日本のモトクロス界が発展することを夢見、願っている。2012年大会はモトクロス王国ベルギーのロンメルが舞台となる。65年もの間脈々と受け継がれ、発展を遂げてきたモトクロス界最大かつ至高の大イベントは、1年足らずでやって来るのだ。


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